フリーターと化して今やっと自分が底辺にいる事を知る。その13

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ちょっとは真面目に働いて、12月、1月、2月度のコンビニの給与も徐々に増えてきた。

 

馬車馬の如く働くとはこのことなんだなぁと思う。

 

IMG_3028-1024x768 フリーターと化して今やっと自分が底辺にいる事を知る。その13

2013年12月〜2014年2月度当時のコンビニバイトの給料明細が残っていた。

 

ほんのちょっとでも稼ぎたい!

 

ちょっとした嬉しい事が起きた。

 

この勤め先のコンビニで今まで昼勤務で働いていた人がゴッソリ辞めるとかで、人手が足りなくなってきたのだ。

 

休憩時間になって持って来た弁当を電子レンジで温めてバックルームに入ると、オーナーと社員の人がバックルームでシフト表を見ながら深刻な顔で話をしていた。

 

お弁当を食べながら話を耳にしていると、状況は大体分かった。そこで僕はこれはチャンスかもしれないと思い、二人の話が落ち着いたところで、自分が伝えたいことを言ってみた。

 

「お話のところあれですが、良ければ僕がその抜けた方の分入ります!」

 

オーナーと社員の人が顔を見合わせた。「・・・入ってくれるの?」

 

「はい!全然大丈夫です!そこでお願いがあるんですが、研修期間中の920円から950円に上げてもらえませんでしょうか?」

 

時給30円なんてちょっとの差かもしれないが、健康保険証もない当時の僕には1円でも多くのお金が欲しかった。

 

時給で働く身である以上は、働けば働いた分だけその30円の差はますます大きくなってくるからだ。

 

「あ、ああ。構わないよ…」ちょっと度肝を抜かれた感じのオーナーの返事が帰って来た。

 

でもまた別の人を雇って教育する費用を考えれば、僕の時給が30円変わることぐらい安いものだったのかもしれない。入って2ヶ月で僕の給与は僅かながら昇給した。

 

そして、また馬車馬の如く日々働き始めた。

 

大阪に居る父からの連絡

 

僕は、新卒の会社を辞めたことを家族には伝えていなかった。

 

唯一姉には気付かれてしまったが、大阪に居る両親にはずっと内緒にしていた。

 

あるきっかけでバレてしまうことになる。それは大阪の病院に入院している祖母が危篤に陥ったとの連絡が父から入ったからだ。

 

ちょうど姉は大阪に帰省していた時だったので、運良く祖母の顔を見れたらしい。

 

そういう僕はというとカンカンにバイトのシフトも入っているし、往復で東京〜新大阪間の新幹線に乗れる程度のお金もない。

 

父にそんな情けないことを話すのも嫌だった。

 

日雇いバイトも合わせるとどう考えても物理的にも大阪に帰るのは不可能だ。でもここで全てを放ったらかして帰ったら、またニートに逆戻りしてしまう。

 

「今何してんねん?」と父に聞かれた。

 

仕事を辞めてからもう半年ぐらいフラフラしていることを伝えると、東京にある知り合いの会社に聞いてみると言ってくれた。

 

コンビニのバイトが終盤へ

 

父の知り合いの会社は、東京は青山にある建設建築関係の中堅企業だった。

 

青山と言えば、北青山のネット起業家の深田との話はどうなったか。

 

実は大金を支払ってから1回だけ外で会ったが、ホストを始めて僕の生活の大半が夜の生活に費やされてしまって深田が教えてくれることをこなす時間もそれまた深田に会う時間も取れなくなったので、もう会えないと断ってしまったのだ。

 

ホストとネット起業家の手伝いを天秤に掛けて、ネット起業家に教えてもらうことはまたお金を払えばいつだってできる。でも、ホストは今しかできない(仮に男でも期限がある)、そう自分で決めたことだった。

 

父からその会社の担当、松田さんという人の電話番号を教えてもらった。「自分で掛けて話してみろ」と。

 

ドキドキしながら電話を掛けると、とても無愛想な男性の声がした。それも口数がすごく少ない。

 

2月中旬に面接の日程を取ってくれたので、一応勤めているコンビニには話を通しておいた。

 

「向かないと思ったらここに行かなくてもいい」と父は言っていたが、そう言われると逆に話を通してくれた父のメンツを潰すような気もしてくる。

 

24歳の僕は、とりあえずコンビニから新しい道を進むことにした。

 

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