人は何の為に生きるのか?その2

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こんばんは、セキタンです!

身近な人を亡くすと人間は、普段考えない死について考え始めます。

 

本当にそれまで何も考えたことのなかった死について考えるのも何も不思議なことではないのです。

至って普通のことだと思います。

 

人ってこんな簡単に死ぬんだな、つい2ヶ月前まで懸命に働いていたし、元気に3食食べていた人間が病によって簡単に命が奪われてしまう。

 

でも病気を恨むべきではないんだなぁと思います。病気になるのも一つの何か運命だと思うし、交通事故に遭うのもなにか一つの運命です。

 

それまでの人生本当に懸命に生きていたし、本当にノンストップだったと思う。

 

人の子として生まれて、いずれある一人の異性を好きになって、その人と幸せな年月を過ごして、いつしか子供ができて、それまでは本当にのんびりな人生だったと思います。

 

でも子供ができたら、子供中心の生活になる。

 

その子供を育てて、一人で生きていけるまで面倒みないといけない。

 

それはそれは大変なことなんだろうなぁと思います(実感したことないので分かりませんが)。

 

本人は「大変だったなぁ、でも思えば楽しかったんだろうなぁ」本人はそう言ってました。

 

種の保存の法則にあるように、自分の血を残したいのであれば、いつかは子孫を作らないといけない。

これは生かされているもの全てに言えることですが、なんか最近そんなことばかり考えてしまいます。

人間の一生なんてアッという間だと思いましたが、地面を歩く蟻とか夏に鳴く蝉の人生って人間以上に本当にあっという間です。

気温が高くなってきたら、地面を掘って出てきて、木に登って脱皮して成虫になったら、一生懸命鳴いて雌を見つけて自分の子孫を残す。

 

雌と違って雄は複数回の交尾が可能なようですが、子孫を残したらもうほとんどゆっくりする力は残ってない、野生の蝉の寿命は1ヶ月程と言われています。

 

どれだけ梅雨が長く続いていても、台風が幾つも来ていても、この限られた1ヶ月の間に蝉達は子孫を残さないといけないのです。これは自然の摂理で自分達にはどうしようもできないことです。

 

しかも成虫になってすぐは大きな声で鳴けないそうです。これは1ヶ月あるのかわからないレベルです。

 

でも、蝉達は何も文句は言わないですよね、人間達のように長い一生があるわけでもなく、会社から帰ってきて疲れたからポテトチップスとビールを食べる時間があるわけでもないのに、何も文句言わずに子孫だけを残して死んでいきます。

 

なんかある意味人間より立派な気がしてしまうのは気のせいでしょうか。人間も原始時代はそうだったのかもしれません。なんの為に生きるかの目的なんて何もなかったのかもしれません。

 

ただただ生きるのに必死で、毎日マンモスを追いかけるのに必死で生きてきたのかもしれませんね。

 

現代の人間より現代の蝉の方が立派に見えるのは、きっと死ぬ気で生きているからだと思います。

 

蝉のように余命1ヶ月であれば、人間はきっともっと一生懸命に生きると思います。

 

どれだけ生きたくても長く生きられない生き物がいることを胸に、毎日一生懸命生きようと思います。疲れた時は休んでもいい。でも生きられない人の分まで一生懸命生きたいものです。

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